二十六聖人

2月5日

さて皆さん。本日2月5日は何の日だか.....ご存知ですか??

プロ野球の日(職業野球連盟設立の日)

笑顔の日(2と5の語呂合わせでニコニコ♪)

そして 日本26聖人殉教者の祝日

1597年2月5日慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。

24名は、京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて(秀吉の命令では耳と鼻を削ぐように言われていた)、市中引き回しとなった。1597年1月10日、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大坂を出発、歩いて長崎へ向かうことになった。また、道中でイエズス会員の世話をするよう依頼され付き添っていたペトロ助四郎と、同じようにフランシスコ会員の世話をしていた伊勢の大工フランシスコ吉も捕縛された。二人はキリスト教徒として、己の信仰のために命を捧げることを拒絶しなかった

26人が通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上で処刑されることが決まると、一行はそこへ連行された(一行は、キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、西坂の丘を処刑の場として望んだという)。処刑当日の2月5日、長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたにも関わらず、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきていた。パウロ三木は死を目前にして、十字架の上から群衆に向かって自らの信仰の正しさを語った。群衆が見守る中、一行が槍で両脇を刺し貫かれて絶命したのは午前10時頃であった。

      ウィキペディアより一部抜粋

この26人の中には、12歳・13歳・14歳の少年もいたそうです。

 

現代に生まれ、生きる私たち。毎日様々なニュースが飛び交い

「物騒な世の中になったものだ」

そんな声も聞こえてきたりするけど、宗教の自由もないそんな時代と比べると、

私はこの時代に生まれ、生きることに幸せを感じます。

ちなみに...

吉川霊園サンク川口霊園 ともに宗教自由です(*^_^*)

以上プリエでした♪